
(立憲民主ニュース 号外 2018.11.8より)
「ライブハウスと政治と」野口おさむさん
自然が豊かで、多くの研究所に囲まれ、都会といなかの両面を持つ魅力あるつくば市。しかし茨城県のイメージはというと、魅力度ランキング最下位としてたびたび話題になります。12月の県議選で立憲民主党が公認する野口おさむさんは、政治家としてのバックグラウンドは異色です。まだ何もない時代の筑波学園都市に、ライブハウスをつくり文化芸術の流れをつくったパイオニアのひとり。ゼロから仲間を集め、切り開いてきた行動力。穏やかなたたずまいから、これまでの道のりをうかがいました。
──自己紹介をお願いします。
野口おさむです。これまで様々な市民活動をしてきて、つくば市議も3期つとめました。もともとは、つくば市天久保で、文化活動の拠点であったジャズバー、クリエイティブハウス「アクアク」というお店を21年間経営していました。障害者自立支援NPOのスタッフもしています。
──出身はどちらですか?
地元のつくば市で生まれ、育ちました。つくば市として合併する前で、当時は桜村といってました。
──中学卒業後に、単身で上京したということですが?
中学生の時、テレビで三島由紀夫の割腹自殺や、学生運動などを映像で見て衝撃を受けました。自分の住む場所とは違う、現実世界が東京にある。リアリティへの憧れから、地元の高校より東京に行きたい、現実を見たいと強く思い、ひとりで出て行く決心をしました。でも、当時は東京はとても遠かった。家族親戚全員から止められ、説得をふりきって行ったわけですが、大変でした。とにかく自立しなければいけないので、働きながら学校に通い、当時のサブカルチャーブームの大きな波の中で、ジャズ、演劇、映画など、大きな影響を受けました。寺山修司の劇団を追いかけたり、自分でも演劇の学校にも行ったり。サブカルが現実社会に批判精神を持っていた時代です。


自分たちで場所をつくる。伝説の店「アクアク」でやってきたこと
──その後地元に戻って、今では、伝説の店ともいわれているお店を始めた経緯を教えてください。
そのうち文化が消費社会に取り込まれ、東京にいる必然性がうすくなりました。Uターンして、地元の文化不毛といわれていた研究学園都市の中で、文化の拠点をつくる役割を見い出しました。23ぐらいの時です。筑波大生に声をかけてみると、ワーッと一斉に集まってきました。1年間かけてみんなでディスカッションしながら、表現とはなにか考え、どこにもない「創造の場」をつくり、自分たちで企画、運営することになりました。関係したOBたちは、今、社会の第一線で活躍していて宝物です。
──どのようなお店だったのですか。
とにかく当時のつくばには文化的なものが何もなかった。自分たちで企画して、ライブ、トーク、映画、アート展示、パフォーマンス、テレビ番組制作、なんでもやりました。東京にもないようなスタイルの店だったので、当時のマスメディアにも大きく取り上げられたり、店には深夜まで多種多様な人が集り、スタッフが入れ替わりながら21年ずっと走り続けてきた感じです。何もない場所で1979年のオープニングはジャズピアニストの山下洋輔さんのトリオで始まり、吉本隆明さん、世界的な舞踏集団・山海塾、田中泯さん、糸井重里さん、谷川俊太郎さん、絵本作家のスズキコージさん、音楽家の大友良英さん、数えきれない多くの著名な方々もライブに来てくれました。…先日亡くなった俳優の大杉漣さんも来ていて最近古い写真が出てきました。様々なジャンルの人が集まり、その時代とともに何かつくり出していくというかなり実験的な場でした。



──その文化活動から政治へはどのようにつながっていったのですか?
街全体を巻き込むような大きな企画もありました。テレビ番組も作っていたのですが、つくば市への合併問題や常磐新線(*現・つくばエクスプレス)の是非を問う討論会なども企画し、問題作だということで番組が放送禁止になったり。それで、直接、政治にコミットする必要があると思い、市議会議員へのチャレンジを思い立ちました。初めての選挙は、馬を引いてリヤカーに筑波山の岩清水、野菜、モダンアートを積んで選挙カーに見立てました。馬は、コンクリートをはがせば轍がある象徴です。

──長くご覧になってきて、つくばと茨城、野口さんにとっての魅力ってなんですか?
つくばの魅力は人です。市民がまちづくり、政治に対して、ものをいえるようになった歴史がある。様々な人々が築き上げた市民の歴史、これが宝で魅力です。その力は茨城県を変える力になると考えています。茨城は潜在的な魅力がありますが、右肩あがりの政策で、ひきずられて経済優先で、生活者視点がおきざり。これでは魅力がつくれない。政治の閉塞感があると思います。
自分が突破口になって茨城を変えていきたい
──今回の立候補を決めたきっかけは?具体的に議会をこう変えたい、というのはありますか?
自民党中心の政治をかえていかなければ、多様な声が通っていかない。その突破口になりたいと思います。それが自分の役割であると思います。今まで、市民オンブズマンの立ち上げ、つくばでの政治倫理条例の制定、議会の中と外で展開してきたことを、県議会の中でもやっていきたいと思います。
──立憲民主党を選んだ理由は?
「立憲民主党をつくるのはあなたです。」という言葉の中に、市民が参加して新しい政党を
つくっていく、これまで自分が、やってきたことと共感できるものがあります。
